勘違い「資格マニア」にならないように
ちょうど日本がバブル期が終わったころでしょうか。
就職氷河期に突入するころ、ちまたでは「就職活動を有利に進めるためには資格取得が必須」というような話がまことしやかに伝えられるようになりました。
確かに就職のための求人件数が極端に落ちてしまったときには、まったく無資格の人よりも何らかの資格を取得している人の方が採用側にとっては魅力的に映ります。
どんな仕事に就くにしろ、いちいちゼロから仕事を教えなければいけない人よりもあらかじめ基礎的な知識があるという人の方が即戦力になって頼もしいというふうに考えるのは当然です。
しかしその資格が最初からその仕事に就くためのものではなく、単に就職を有利にするためだけのものだとしたらどうでしょうか。
これから事務職になる人を求人しているのに、クレーンや溶接といった技能は持っていてもまず使用することはないでしょうし、漢字検定やアロマテラピー資格のある人が工事現場に採用されてもその能力を生かす場面があるかはかなり疑問です。
もちろん資格を取得するために努力することは間違ったことではありませんし、幅広く知識を身に着けることができることも人生を豊かにするためにはよいことです。
ですが資格を取得をしてそれをどう生かすかではなく、ただ闇雲に資格を取得するための勉強にだけ打ち込むというのは就職を考えるときにあまり望ましい姿勢ではありません。
今現在の就職採用の現場では、最初の書類選考のときの履歴書にあまりにも共通性のないバラバラの資格がずらりと記載されているタイプの人は「将来の方向性がなく自己主張が強いだけの人」と警戒されるようになっているので注意が必要です。
「資格さえとれば」という時代は終わった
無軌道に資格を取りまくるマニアと同じくらいによく勘違いされているのが「資格さえとれば大丈夫」という資格を過信する考え方です。
特に弁護士や司法書士など難関資格を目指す人にありがちなことなのですが、その資格を取得するための難易度が高いが故にそれを取ればきっとハッピーになれるという思い込みがしばしば見られます。
これは資格取得が「手段」ではなく「目的」になってしまっているために起こるもので、仮に努力が実って資格取得ができたとしてもそこで燃え尽きてしまい仕事に生かすことができなくなってしまうのです。
確かに弁護士や司法書士のように合格率が数パーセントという超難関資格は取得できる人数は全体としては多くありませんが、それでも年々合格者は輩出されるわけなので毎年ライバルが次々に登場してくるということになります。
わかりやすいのが歯科医師ですが、歯科医師は取得まで6年間大学で勉強をしなければいけないなどそうそう簡単に取得ができる資格ではありません。
しかし現在では全国で歯科医師あまりの状態が続いており、個人で歯科医院を開こうとしても駅前には同じように個人の歯科医院が三つも四つもあるという過当競争が起こってしまっています。
つまりどんなに難しい資格であっても、それを取れば回りがお金を運んできてくれるということは絶対になく自分なりの営業のための努力がなくてはいけません。